本章では,11.1 において IIR (Infinite Impulse Response) フィルタ (無限インパルス応答フィルタ,巡回型フィルタ) の構造,11.2 においてインパルス不変設計法,11.3 において双一次変換による設計法を復習する.これらは教科書に十分な説明が記載されているため,本資料は留意すべき点を Note に示す.
11.1. IIR フィルタの構造
システム伝達関数 H (z) が以下の式で与えられるディジタルフィルタの構造を示す.ここで,X (z), Y(z) は各々ディジタルフィルタの入出力となる離散時間信号 x [n], y [n], (n ≥ 0) の Z 変換を示す.
上記のディジタルフィルタに入出力される離散時間信号 x [n], y [n] の関係は,以下の差分方程式で記述される.
IIRフィルタとは,上記の差分方程式を,フィルタの実現アルゴリズムと見做したものであり,出力の離散時間信号 y [n] を,過去 N 回の出力 y [n − 1], ..., y [n − N] と,現在及び過去 M 回の入力 x [n], ..., x [n − M] から求める.
基本的な IIR フィルタの構造を図11‑1 に示す.図において,四角は入力信号に 1 サンプリング周期の遅延を加えて出力するレジスタ (Z 変換において1 サンプリング周期の時間シフトは z−1 となる事からこの様に表現される),三角は定数係数の乗算器,丸は加算器を示す.レジスタの初期値は全て 0 となる.また,図を簡略化するために M = N としている.N, M は各々システム伝達関数の分子の次数,分母の次数と呼ばれる.
図11-1 の左の図は,最も基本的な形の IIR フィルタで,上記の差分方程式を式の通りに計算する.また,現在及び過去の入力の計算と,過去の出力の計算は入れ替える事が出来るため,これを右の図の様に変形させて,レジスタ数を削減する場合が多い.これらは直接形の IIR フィルタと呼ばれる.
また,システム伝達関数 H (z) は,以下の様に因数分解する事ができる.ここで,⌊x⌋ は x を超えない最大の整数を示す.
因数分解された各項を直接形の IIR フィルタで構成し,以下の図に示す様に,これらを縦続接続する事によって,システム伝達関数で記述された特性のフィルタを得る事もできる.これは,縦続形の IIR フィルタと呼ばれる.
11.2. インパルス不変設計法
インパルス不変設計法とは,アナログフィルタの伝達関数 G (s) から,ディジタルフィルタのシステム伝達関数 H (z) を求める設計法であり,以下に示す様に,ディジタルフィルタのインパルス応答の離散時間信号 h [n], (n ≥ 0) は,アナログフィルタのインパルス応答 g (t), (t ≥ 0) のサンプリングとなる.
Note: 上記は教科書的なインパルス不変設計法の定義であり,10 章に述べたゲインや誤差の補正は考慮されていない.また,9.10 に述べたローパスフィルタの設計例は,この教科書的な定義に基づいている.
システム伝達関数
以下の伝達関数で示される,時定数が τ,カットオフ周波数が ωc = 1 / τ のローパスフィルタを,インパルス不変設計法に基づいてディジタル化した例を示す.
表5‑1 より,上記の伝達関数で表されるローパスフィルタのインパルス応答 g (t) は以下の通りとなる.
また,表9‑3 より,上記の伝達関数に対応するシステム伝達関数を以下に示す.サンプリング周期は T とする.
表9‑1 より,上記のシステム伝達関数で表されるローパルスフィルタのインパルス応答 h [n] は以下の通りとなる.このインパルス応答は,明らかに,式 (11‑6) に示した連続時間のインパルス応答 g (t) を離散時間化したものとなる.
正規化システム伝達関数と周波数伝達関数
上記のシステム伝達関数のゲインや誤差を補正した,正規化システム伝達関数は以下で与えられる.
上記の正規化システム伝達関数に対応する,周波数伝達関数を以下に示す.
差分方程式
正規化システム伝達関数は,ディジタルフィルタの入出力となる離散時間信号 x [n], y [n] の Z 変換の比であるから,これを以下の様に逆 Z 変換する事によって,離散時間信号 x [n], y [n] の関係を記述する差分方程式が得られる.
ボード線図
上記の周波数伝達関数のボード線図を図11‑3に示す.横軸の角周波数は ω / ωc として正規化されている.図中の青線は正規化されたナイキスト周波数 fn を示しており,この例ではカットオフ周波数 ωc の 100 倍の角周波数としている.また,図中の赤線はアナログフィルタの特性を示す.
図から明らかな通り,ナイキスト周波数がカットオフ周波数と比較して十分に高い場合は,この設計法によるローパスフィルタのゲイン特性は,ナイキスト周波数近傍で減衰量が低下している以外は,アナログフィルタの特性と高い精度で一致する.一方,ω / ωc ≪ 1 の場合の位相特性はアナログフィルタの特性と高い精度一致するが,ω / ωc ≫ 1 の場合はかなりの相違がみられる.
ナイキスト周波数をカットオフ周波数と比較して十分に高く設計する事は,経済的では無い場合が多いため,次にナイキスト周波数をカットオフ周波数 ωc の 20 倍の角周波数とした場合のボード線図を示す.
この場合のナイキスト周波数以下のゲイン特性は,前の例と同様に,ナイキスト周波数近傍で減衰量が低下している以外は,アナログフィルタの特性と高い精度で一致する.
また,9.1 に述べた通り,サンプリング周波数 fs = 1 / T の離散時間信号では,異名現象により,ナイキスト周波数 fn = fs / 2 以下の周波数成分 f0 と,ナイキスト周波数を超える周波数成分 N fs ± f0, (N = 1, 2, 3, ...) を区別する事はできないため,図に示した通り,ナイキスト周波数を超えるゲイン特性には折り返しが生じる.
ナイキスト周波数近傍で減衰量が低下する原因も異名現象に起因する.バタワース,チェビシェフ,ベッセル,楕円等の既存のアナログローパスフィルタのゲイン特性は,或る特定の角周波数,若しくは角周波数 ∞ においてゲインが 0 倍となる特性であり,或る角周波数以上においてゲインが 0 倍となる特性では無いため,これらのフィルタではナイキスト周波数以上において,必ず或る程度のゲインが生じる.このため,下図に示す様に,異名現象によるゲイン特性の折り返し (重複) により,特にナイキスト周波数付近の減衰量が低下する.
インパルス不変設計法によるローパスフィルタでは,この異名現象による減衰量の低下は大なり小なり生じるため,設計時にそれが許容範囲内にある事を確認する必要がある.
11.3. 双一次変換による設計法
双一次変換による設計法とは,アナログフィルタの伝達関数 G (s) から,ディジタルフィルタのシステム伝達関数 H (z) を求める設計法であり,インパル不変設計法における減衰量の低下を抑える事ができる.
11.2 に述べた異名現象によるゲイン特性の折り返しを避けるため,双一次変換による設計法では,アナログフィルタの周波数 0 から ∞ までの特性が,周波数 0 からナイキスト周波数 fn までの特性となる様に周波数軸を変換したフィルタを考える.この様な周波数軸の写像は無数に存在するが,双一次変換では,以下に示すアナログフィルタの角周波数ωa と,周波数軸が変換されたフィルタの角周波数 ωの関係が用いられる.ここで T はサンプリング周期である.
上記の関係ではアナログフィルタの角周波数 ωa = 0 はω = 0 に,ωa = ∞ はω = π / T = π fs = 2 π fn 即ちナイキスト周波数に写像される.この関係に基づいて周波数軸が変換されたフィルタをディジタル化すると,以下の図に示す様に,異名現象は生じるが,ゲイン特性の折り返し (重複) は生じないため,インパルス不変設計法において見られた減衰量の低下は生じない.但し,その代償として,上記の角周波数の対応関係の歪により,特に角周波数が高い領域において,アナログフィルタと周波数特性が異なるディジタルフィルタが得られる.
上記の角周波数の対応関係は,以下の様に変形できる.
ディジタル信号処理では,初期条件を 0 とする事が暗黙の前提であるため,上記の jωa を sa に,jω を s に各々置き換える事によって,以下に示す通り,アナログフィルタの伝達関数 G (sa) と,周波数軸を変換したフィルタの伝達関数 G (s) の対応関係が得られる.
Z 変換とはラプラス変換の s をz = eTs に置き換えたものであるから,双一次変換では,アナログフィルタの伝達関数G (s) の sa を下記の式の通り z に置き換え,ディジタルフィルタのシステム伝達関数 H (z) とする.
ローパスフィルタのシステム伝達関数と周波数伝達関数
以下の伝達関数で示される,時定数が τ,カットオフ周波数が ωc = 1 / τ のローパスフィルタを,双一次変換による設計法に基づいてディジタル化した例を示す.
この設計法によるアナログフィルタとディジタルフィルタの角周波数の対応関係には歪が生じるため,予め上記のアナログフィルタの時定数を補正する必要がある.式 (11‑12) に基づいて補正したカットオフ周波数周波数ωa を以下に示す.サンプリング周期は T とする.
また,上記のシステム伝達関数に対応する,周波数伝達関数を以下に示す.
Note: 双一次変換は本質的に周波数軸の変換であるため,上記のシステム伝達関数のゲインを補正する必要は無い.(上記の周波数伝達関数の ω → 0,即ち直流におけるゲインは 1 倍であり,アナログフィルタのゲインと一致している).
ローパスフィルタの差分方程式
インパルス不変設計法と同様に,上記のシステム伝達関数で記述されるローパスフィルタの差分方程式は以下の通りとなる.
ローパスフィルタのボード線図
上記の周波数伝達関数のボード線図を図11‑7に示す.横軸の角周波数は ω / ωc として正規化されている.図中の青線は正規化されたナイキスト周波数 fn を示しており,この例ではカットオフ周波数 ωc の 20 倍の角周波数としている.また,図中の赤線はアナログフィルタの特性を示す.
図から明らかな通り,この設計法によるローパスフィルタのゲイン特性は,アナログフィルタとディジタルフィルタの角周波数の対応関係における歪のため,角周波数が高い領域において減衰量が急上昇している以外は,アナログフィルタの特性と高い精度で一致する.また,異名現象によりナイキスト周波数を超えるゲイン特性には折り返しが生じているが,インパルス不変設計法に見られたナイキスト周波数近傍における減衰量の低下は生じていない.
ハイパスフィルタのシステム伝達関数と周波数伝達関数
以下の伝達関数で示される,時定数が τ,カットオフ周波数が ωc = 1 / τ のハイパスフィルタを,双一次変換による設計法に基づいてディジタル化した例を示す.
ローパスフィルタと同様に,予め上記のアナログフィルタの時定数を補正する必要がある.式 (11‑12) に基づいて補正したカットオフ周波数 ωa を以下に示す.サンプリング周期は T とする.
また,上記のシステム伝達関数に対応する,周波数伝達関数を以下に示す.
ハイパスフィルタの差分方程式
上記のシステム伝達関数で記述されるハイパスフィルタの差分方程式は以下の通りとなる.
ハイパスフィルタのボード線図
上記の周波数伝達関数のボード線図を図11‑8に示す.横軸の角周波数は ω / ωc として正規化されている.図中の青線は正規化されたナイキスト周波数 fn を示しており,この例ではカットオフ周波数 ωc の 5 倍の角周波数としている.また,図中の赤線はアナログフィルタの特性を示す.
図から明らかな通り,この設計法によるハイパスフィルタのナイキスト周波数以下のゲイン特性は,ナイキスト周波数 fn がカットオフ周波数 ωc の僅か 5 倍にも係わらず,アナログフィルタの特性と高い精度で一致する.ローパスフィルタと同様に,角周波数が高い領域において,アナログフィルタとディジタルフィルタの角周波数の対応関係に歪は生じているが,ローパスフィルタでは角周波数が高い領域のゲインは一定であるため,結果として影響は無視できる.一方,位相特性には,角周波数の対応関係の歪による影響が明確に現れている.
参考: インパルス不変設計法の適用範囲
一部の教科書には,ハイパスフィルタ,及びノッチフィルタ (帯域消去フィルタ) は,ナイキスト周波数近傍での帯域制限が困難であり,異名現象によるゲイン特性への影響度が高いため,インパルス不変設計法は,これらのフィルタの設計には適さないとされている.本資料に述べた通り,インパルス不変設計法では,ローパスフィルタにおいても異名現象による減衰量の低下は大なり小なり生じるため,それを許容できるかは単なる程度問題でしか無い.このため,インパルス不変設計法によるハイパスフィルタ,及びノッチフィルタの特性を不適切とする根拠となる設計例を探したが見当たらなかった.
そもそも,異名現象より遥か以前の問題として,インパルス不変設計法によるハイパスフィルタ及びノッチフィルタの設計自体が困難である.ハイパスフィルタの伝達関数の例を以下に示す.
上記のインパルス応答 g (t) を以下に示す.
上記から明らかな通り,ハイパスフィルタ及びノッチフィルタにおける伝達関数の分子と分母の次数は等しいため,5.4 に述べた通り,これらのインパルス応答には必ず単位インパルス関数が現れる.これを 9.2 に述べた櫛型関数によってサンプリングした場合,インパルス列に単位インパルス関数の 2 乗が現れ,離散時間信号 h [0] は発散する.
従って,ディジタル化されたハイパスフィルタ,及びノッチフィルタのインパルス応答の離散時間信号を,厳密にアナログフィルタのインパルス応答のサンプリングとなる様に設計する事は不可能である.但し,単位インパルス関数の離散時間信号を 1 や 1 / T 等とするご都合主義的な解釈も考えられ,それに基づいてハイパスフィルタらしきものはできるが,その特性を正確に議論する事は困難となる.
上記の様にインパルス応答に単位インパルス関数が現れる場合は,インディシャル応答 (単位ステップ応答) 不変設計法により,適切な特性のフィルタを設計できるが,双一次変換による設計法と比較して特に優位性のある結果は得られないため,詳細は割愛する.
尚,インパルス不変設計法に基づいてローパスフィルタを設計し,これをハイパスフィルタに変換した場合は,変換元のローパスフィルタに生じている異名現象による特性も含めて,変換先のハイパスフィルタの特性に変換されるため,不適切とするほどの異名現象による影響は生じない.
本章の参考文献
A. Oppenheim, R. Schafer, 伊達訳, "ディジタル信号処理," (上), (下), コロナ社, 1978.